ここ最近地球の気候が大幅に変わり、その度に大きな災害が起きているように思います。
災害が起こるたびにマスメディアなどでは『早めの避難を!』と呼びかけているのを良く耳にもしますが、逃げたくても逃げられない人もいるということをぜひ知って欲しいのです。
私の母の場合というほんの一例ですが、このことを通して『避難ができない人たち』がいることを、皆さんが考えるきっかけになればいいなと思います。
寝たきりのことが多い母
私の母は生前透析治療を受けていました。
そのため体調が良い日であればいいのですが、透析を受けた日などは特に体調が優れない事も多く、日常生活も自宅の中では少し歩けるものの、外出はもっぱら車椅子を使用していました。
なので、東日本大震災以降(震災当時、母はまだ透析もしておらず元気でした。)我が家では『災害の時に、どう動くか?』は、家族みんながいつも気にしていたように思います。少なくとも、私の心の片隅にはいつもそのことが突っかかっていました。
母の場合〜災害時、透析はどうなるのか?〜
透析治療を受けている方の多くは、週に2、3回ほど病院に通院しています。そして、病院で透析を行うのですが、母が行っていた透析には必ず『電気』と『水』がセットで必要でした。
というのも、透析を行う機械はもちろん『電気』で動かしているというとこ。(ダイアライザーという機械を使う場合)
そして透析では血液の中の老廃物や過剰な水分を、自分の腎臓の代わりに人工的に取り除くのですが、その際に使われる『透析液』はもともとの濃度が濃いので、キレイな水で薄めて使用しているためです。
自分の腹膜を使って行う場合などもあるのですが、私の母の場合は『シャント』と呼ばれる人工的に作った太い血管から、機械を使って透析を行うものでした。
それこそ『電気』と『水』は災害時に「供給が滞りやすいものの代名詞」とも言えるのではないでしょうか?
幸いにも、母の存命中に、大きな災害に見舞われたりはしなかったのよかったのですが…。
透析をしている病院であれば、予備電源などを持っている施設は多いのかもしれません。でも当時母が通院していた病院に、果たしてそのような設備があったのかは、今となってはわかりません。何度も思い返してみるのですが、非常時の説明というような事は初めて透析を開始する際にもされていなかったと思います。
それは母がシャント手術を行った大学病院であってもそうで、災害非常時の対応を説明されたことはありません。
問題は『電気と水の供給』ばかりではなく、東日本大震災の時のことを考えてみると災害時にはガソリンの入手も困難になることでしょう。震災当時は車はなるべく使わないようにした記憶があります。(わずかなガソリンを求めて、何時間もスタンドに並んだ記憶があります。)
生前母は透析を行う病院へ、通院するにはタクシーを利用していました。が、非常時にはおそらく、家族が病院への送り迎えをしなければならなくなると思うのです。果たしてその時にガソリンは手に入るのでしょうか?
だったら歩いて(車椅子を押して)行けばいい!という人もいるでしょう。近くに病院でがあって、道が問題なく通れるようであれば、車椅子を押していく事も可能かもしれません。しかし車椅子は本当に小さな段差でも、段差があると移動が難しくなるのです。
避難所へはどうやって連れていくのか?
そんな母ですから避難所へいくにも一人ではもちろん難しく、どこかへ行くには必ず誰かに手伝ってもらう必要があったのです。
母が自宅の二階にすら、一人で登ることは難しいでしょう。
私が在宅の時間帯であれば多少早めに動いて避難所へ連れて行く事もできますが、日中仕事に行っている時間帯などはどうする事もできません。
母は父と一緒に暮らしていたので、父が車の免許を持っていればまだ良かったのですが、父は免許を持っていないのです。
当時、自治体にも相談したことがありました。私が住んでいるところでは当時、災害時に個別の対応が必要と思われる対象者に対して、詳細な病状を記入させた用紙を市が回収していました。
しかし市や自治体が災害時、どう対応しするのか?などは全く持って不明でした。(父の分も提出してありますが、いまだになんの音沙汰もありません。)
自治体によっては、災害時の対応に力を入れていて普段からしっかり取り組んでいることろもあるでしょう。でも残念ながら私が住んでいる地域の自治体は、どこに相談しても明確な回答を得られずたらい回しなような気がして、あてにはできないなと感じていました。
そしてまた運良く避難所に行き着くことができたとしても、近くの病院で(いつもと違う病院で)透析できるのか?という問題もあるのです。
いろいろと調べていくと、これも『災害時の透析患者への対応マニュアル』がある県もあるようですが、県によって対応はさまざまと違っているようです。
いざという時には、果たしてインターネットがどの程度に使える状態なのか?もわかりません。携帯が通じるのか?もわかりません。つまりいざという時には何もできません。災害弱者であればあるほど、前もって自分で調べて『病院ともっと積極的に自分から打ち合わせておく』などの、準備をしておかないといけなかったんだなぁ…と何事もなかったとはいえ自分自身も振り返って反省しました。
避難所での生活に耐えられるのか?
無事避難所へ着いたとしても普段の生活をしていても体調を崩すことが多いのに、避難所での生活に果たして耐えられるのか?
普通の人でさえ、避難所での生活は精神的にも肉体的にもキツイと言われたいます。そんな中で、生活が可能なのか?避難所での生活が長引いた場合は、大丈夫なのか?という問題もあります。
考えればキリがないくらいです。
災害弱者の避難に手が回らない自治体
おそらくどこの自治体も、近年これだけ災害が頻発している状態なので、何かしらの対策を取らないといけないことはわかってはいると思います。
でも、実情としてそこまで手が回らないのでしょう。
そうはいってもなんとかしないと、これから高齢化が一段と進んだ時『一人で避難できない人』は今以上に増えることは目に見えています。
ご近所付き合いも希薄となった現代社会では、もう一人で避難できなくなった時点で避難は諦めざるを得ないのかもしれません。
まとめ
母よりも厳しい状態の人はいる
『一人で避難できない』というのは私の母に限ったことではなくて、生活環境やご自身の身体的状況が私の母よりも厳しい人はたくさんいます。
いざという時は自分の身を守ることで精一杯で、弱い立場の人にまで目を向けられない!というのもわかります。
だからこそ、災害が起こる前から『災害が起きた時に一人で避難できない人への対応はどうするのか?』という『システム作り』が重要になると思うのです。
自分は大丈夫!と思っている人もいるかもしれませんが、いつ自分が『災害弱者』になるのかなんてわからないのです。弱者を守るシステムは、いずれ自分の身を守ることになると思うのです。
避難しなかった人なのか?避難できなかった人なのか?
早めの避難を呼びかけたにもかかわらず、避難しなっかたと言われる人たちがいます。
でも、その人たちは『避難ができるのにしなかったのか?』それとも『避難したくてもできなかったのか?』背景を見る必要があると思うのです。
そして、『避難したくてもできなかった』のであれば責められるべきのは、個人ではなく社会全体なのではないでしょうか?
今回の災害で、被害を受けた人たちに1日でも早く「笑顔になれる日」が来ることを心から願っています。