いつまでも、あると思うな『親と金』
自分の親は、まだまだ大丈夫!
そう思っていても、人生何があるかわかりません。
その日は思いもよらず、突然やってきます。やってきて欲しくなくても、やってくるのです。
私は何の覚悟もなく、その日を迎えることになってしまいました。(2年前に、母を亡くしました。)
なんとなくぼんやりと、親の死を考えることはあっても、現実味はなく『まだまだ先のことだ』とタカを括っていました。(正直、あまり考えたくなかったのかもしれません。)
しかし、いざその事態に直面すると『こうしておけば良かった』と後悔をすることばかりです。
どんなに用意をしていても、準備をしていても、覚悟があっても!多少の後悔は残るのでしょう。
それはわかっています。
でも『やっておけば、しなくても良かった後悔』が、私は今もまだ悔やまれるのです。
皆さんには、そんな後悔をして欲しくありません。
そこで今回は、私の『やっておけば、しなくても良かった後悔』についてまとめてみました。
序章〜自分が思っているよりも、私は親のことを何も知らない〜
人は死を意識すると、『死』への準備ができなくなる
私の母は体があまり丈夫ではなく、持病もありました。
母自身も、私たち家族も言葉には出して言わないけれども『そんなに長生きはできないだろう』と、思ってはいました。
母が元気な頃は自分から『もしもの時の、遺影のためにベストショットを撮るんだ。』と、毎年一枚写真を撮っていましたが、徐々に身体が弱ってくると写真も撮影しなくなりました。そして『死』についての話題は避けるようになっていきました。
こうなってくるともう『葬儀はどうしたいのか?』とか『お墓はどうしたらいいのか?』なんて、聞ける雰囲気ではありません。
『その話はしたくない。』と言われてしまます。
だからもちろん…。
良く聞く話ではあるけれど…結果
母が亡くなった後、良く聞く話ではあるのですが、実際に我が家が困ったことは
私の場合
- 銀行口座がいくつあるのか?暗証番号が何番なのか?がわからない。(銀行口座のいくつかは、あらかじめ番号を聞いていたのですが、それで全部ではなかったのです。)
- どこの葬儀会社にしたらいいのかがわからない。(結局、旦那の母が互助会に入っていたので、そこを使わせてもらいました。)
- 実家自体が分家だったのでお墓がない。(もともと実家があった場所から引っ越しをしていたので、近所にもちろん菩提寺がない…と言うか、宗教自体がなんなのか?すら私にはわかりませんでした。すったもんだの末、曹洞宗であることがわかりました。)
- お寺が決まらないので、枕経が読めない→葬儀を始められない。(田舎ならではのしきたりなのかもしれませんが『本家の菩提寺からの了解がないと、近所の同一宗教のお寺の檀家になれない』など煩雑な手続きがあった。)
- 故人が本当に連絡したい人はいるのか?それは誰なのか?がわからない。(ご近所さんはわかるが、昔からの母の友人関係が良くわからない。)
などなど…。一般的に良く言われていることだけでも、これだけありました。
本当に知らないことばかり…。
そして葬儀内容はもちろんですが、その他にも短い時間で決めなければいけないことが、ただでさえいっぱいあります。
行政の手続きもあります。
いつまでも故人をこのままにしておく訳にはいきません。
荼毘に付さない訳にはいかないのです。
教訓:本当に親の体が弱ってしまう前に『お金』『葬儀』『連絡したい人』については最低限、相談をしておいた方がいい。
- 相談をして情報が更新されない場合『最後に決めたことを実行する』とお互いに認識しておく。
- もし、元気なうちに『終活ノート』を作成できるのであれば、その内容で進めると言うことをお互いに了解しておく。
- 近年、終活をする年配者は増えてきているようにメディアでは報じられることが多いですが、私の周りに限っては子供が『終活ノート』を親にススメても、もめることが多いようです。なかなか難しいです。だからこそ、普段から『人生の最期について話す』タイミングを伺う必要があるのではないでしょうか?
動画を撮るべし〜写真はそれなりにあるけれど…〜
人を忘れていくときに、一番最初に忘れていくのは『声』なのだそうです。
写真はそれなりにあっても、親を動画で撮ることってありますか?
皆さんは、ご両親の音声(肉声)を持っていますか?
少なくとも、私はありませんでした。『撮っておけば良かったなぁ』と今になって本当に思います。
一緒に旅行に行った時の写真はもちろん、入院していた時のものでさえも写真はあるのですが…。
一年に一度、どこかに行った際でもいつでもいいので、音声は撮っておいた方がいいと思います。(風景や食事内容を撮っている場合ではありません。そんなものはネット上を検索すれば、既に誰かが撮ってくれているのですから、自分の大事な人と一緒に動画や写真を撮りましょう!)
携帯で撮影をする際はぜひ『動画撮影』をお勧めします!
動画さえあれば、いざという時にもし『写真が欲しい』となっても最悪『動画』を切り取ればいいのですから。
ただし、動画で切り取った写真を遺影にする場合には『故人が、切り取った写真を気に入るかどうか?』はまた別の話ですが…。
余談ですが、あなたがもし娘で母親に似ているのであれば、歳を重ねると共に容姿も声もにてくる事でしょう。
あなたを通して、他の人は亡き母の声を思い出すかもしれません。でも、自分自身ではよくわかりません。
顔や容姿は『自分自身でも似てきたなぁ』と思うことはあっても、声が似ていると思ったことは少なくとも私はありません。
自分が『生まれた日』のことを聞いておけば良かった…
皆さんは自分の母親に(または両親に)自分が生まれた日のことを詳しく聞いたことがありますか?
私には子供がいないこともあり、母とそういう話をする機会がありませんでした。
むしろ母としては、子供がいない私にそういった話をするのを避けていたのかもしれません。
そして、私自身も避けていたのかもしれません。
母が亡くなって少したった頃に、弟の子供が生まれました。
その時に『子供がどうしても欲しかった母は、長い間不妊治療を受けて私を授かったのだ。』というのを父から聞いたのです。
正直、それまであまり『自分が生まれた日のこと』なんて興味がありませんでした。
でもそんなに苦労をして私を授かったのですから、『私を授かった日』そして『私が生まれた日』の母の気持ちを聞いてみたくなりました。
『その日』がどんな日だったのか?(晴れだったのか?雪の降る日だったのか?何か大きな出来事があった日なのか?など)は他の人からでも聞くこともできます。
でも母が『どんな気持ちでその日を迎えたのか?』
それはもう、(もちろん直接)母から聞くことはできません。
『自分のルーツ』である、『その日』の話をちゃんときておけば良かったなぁ。
追伸:その後、旦那が生まれた日のことはお姑さんに、ちゃんと聞いておきました。(まあ、旦那はあまり興味はなさそうでしたが…。
もっと甘えておけば良かったなぁ
今、一番思うのは『もっと甘えておけば良かったなあ』ということです。
間違いなく母は私にとって一番の味方でした。
自分が『兄弟の中で一番上』ということも多少は関係しているかもしれませんが、母の好意を受け入れられず強がってしまう時が多かったな…と。それ故に素直になれなかったり、甘えたりできていなかった気がするのです。
母が亡くなってから、とにかく一番に思うことは『母に、ギュッと抱きしめて欲しい』ただそれだけです。
もっと、話をすれば良かった〜会いにいけば良かった〜
元気な時は、母から電話があっても正直ちょっと『面倒だな〜』と思うことろもありました。しかし自分になんの見返りも求めず、本当に心配をして電話をしてくれる人は、この世にどの位いるのでしょうか?
母から電話のくる時間になると、今でも少し寂しくなります。(電話がないから)メールやLINEをついついみてしまうのです。来るはずもないのに…。
母からの『特に用事はないんだけど、元気かなと思って…』という
最後のメールもLINEももちろん、今でも消すことはできません。おそらくこの先も…。
もっと会いにいけば良かったな…。もっと話を聞いてあげれば良かった。
おそらくその時は、母の寂しさを私には理解ができていなかったのでしょう。
おまけ:映画にもなりましたが、宮川さとしさんの『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』はまさに私の感情とリンクすることが多い漫画でした。身内を亡くして、思うことろがある人にはオススメです。『自分だけではなかったと』と思うことができると思います。
最後に
世の中には、親との関係が決して良いものではない人もたくさんいます。
そんな方に比べれば、このように『親の死』をおセンチに語れる分だけ多分、私は幸せなのだと思います。
それでもやっぱり思うのです。
『人はいずれ死ぬ』と。
自分の親だけが特別ということはないのだと。
実は母の葬儀に参加した母の友達が、今回の私たち家族のバタバタをみていて、ご主人とそして子供達と『自分たちの終活について話すきっっけになった』と話してくださった方がいました。
限られた時間の中で『やるべきこと、やらなければいけないこと』は人によって違います。なので、今回私が紹介した『私が思うこと(後悔したこと)』というのが全て、皆さんに当てハマるとは全く思っていません。
ただ皆さんがこの記事を読んでいただくことで、私の『後悔』を通して『あなたが大事な人との最期の時間までにしなければいけないこと』を考えるきっかけになれば幸いです。