自分の大事な人を亡くした時、会社を休むべきか?

自分にとって大切な人が、まさに今『この世から旅立とうとしている時』

それでもあなたは、会社にいきますか?

あなたの会社は、そんなあなたに『休み』をくれますか?

そんな状態に「直面した」私が、自分にとって『本当に大事なもの』とは何なのか?を『ものすごく考えた2週間』についてまとめてみました。

多くの人は『ある日突然、亡くなる』訳ではない。

事件や事故などにあったり、災害にまきこまれたりしたのでなければ(自ら命を絶ってしまう人もいますが)元気だった人が、ある日突然『亡くなる』ということは、本来は少ないと思うのです。

何かしらの病気で闘病中の場合(入院中などであれば)、恐らく『ある日、突然容体が急変して』その後に亡くなることが多いのではないでしょうか?

もちろん突然元気だった人が、急変してすぐに亡くなってしまう事もあるとは思います。

それでも『突然』になるのは『死』ではなく『容体の急変』だと思うのです。

私の母の場合は、良くある話しではあるのですが、ちょっと持ち直して大丈夫かも?このまま良くなるかも?と思っていた折の急変でした。

今思えば母が少しの間だけ元気になったのは、いわゆる『中治り』現象だったのでしょう。(海外ではこの現象を『ラストラリー』と言うそうです。)

それでもその当時は、良くなる兆しが見えたような気がして、喜んでいたところへの容体の急変。それは、本当に突然の出来事でした。

そして『旅立ちの日』が、いつやってくるのか?なんて誰にも分からない。

私の母は、急変からちょうど1週間で、この世を旅立ちました。

普通誰かが亡くなると『忌引き休暇』が使える会社が多いと思いますが、亡くなる前はどうなるのでしょうか?亡くなってからよりも、心情としては亡くなるまでの時間を一緒に過ごしたいと思いませんか?

旅立ちの日がいつになるのかは分かりませんが、自分の大事な人ともう、一緒に過ごせる時間がわずかなのは分かってはいるのです。

自分の大事な人と、最期のわずかな時間を一緒に過ごしたいと願うのはいけない事なのでしょうか?

急変から亡くなるまでの1週間は休めないのか?忌引休暇の定義は?

私は当時、母の容体が急変してしまったことを伝えるために会社の上司に連絡を入れたのですが、なかなかつながらずとても大変だったのを覚えています。

そしていつ『その日』がやってくるのか(山場はおそらく1週間だろうと、医師から伝えてられてはいましたが)わからない状態だったので、今後どうするのかを誰かに相談するまでもなく、私は母が急変した日から病院にずっと泊まりこむことにしました。

『長くなるかもしれない。でも、今日かも明日かもしれない…』

どうしよう…。自分が会社にいっている時に亡くなったらどうしよう…。そんな不安が募ります。病院から離れるのでさえ、ためらってしまう…。

そんな状態なのに、会社に出勤しようか…と本当に迷いました。

忌引休暇の定義は、その会社によって違うと思います。一般的な基準はあると思いますが、有給休暇などを使ってその前後を休みにしてくれる企業もあるようです。

が…。

当時の私にいたっては『出勤しないと会社での立場が悪くなるかもしれない…。』『仕事辞めることになったら、どうしよう…。』などなど。悪いことしか思いつきません。

その時にそんな様子を見かねた、病院の看護師さんに言われたのです。

『このような状態で仕事に行っても、仕事にならないと思いますよ?自分だったら休みます。』と。

看護師さんの、その言葉で私は決意しました。

そしてもう一度『もう、仕事を辞めてもいいや…。』という思いで、会社に連絡を入れたのです。

いつまで休むのか?いつまで休めるのか?

結局私は、母が急変してから葬儀が終わるまでの『2週間』の間、会社を休みました。

母が亡くなってから葬儀が終わるまでは、本当にやる事が多く(誰かを『この世から送る』という事が、初めてだったこともあり)ほとんど徹夜でいろいろなことを決め、様々な作業をこなしました。

そしてその最中もまた、会社に『いつまで休むのか?』を伝えるために何度も電話をしました。

葬儀の準備の合間を縫って会社に電話をかけては見るものの、なかなか上司にはつながりません。やっとつながった!と思ったら『大変だね』などの言葉もなく、『わかったけど、で、いつまで休むの?』とのこと。

もう、腹は決まっていたので葬儀が終わるまでは出社はしないと伝えました。

遠回しに『早く出てこい!』と言われているのはわかっていましたが、私にとってはもう亡くなっているとはいえ、母と一緒にいられる期間(母が遺灰になってしまうまでの最期の時間)の方がずっとずっと大事だったのです。

『どんなとこがあっても出社しろ!』と言われなかっただけ、休みたいと思った期間休めただけ良かったのかもしれませんが…。

自分にとっての優先順位は?

もちろん、会社を経営している方などであれば

『自分が休むことで、大きな損害が出る!』

『自分の会社の社員を守るためにも、休むことはできない!』などということもあるでしょう。

その人その人で、立場が違えば『大事にするべきもの』の優先順位が変わって来るのは当然のことだとも思います。

人はそれぞれいろいろなものを抱えていて、仕事も大事、生活も大事、家族も大事。大事なものは本当にたくさんあります。

でもだからこそ、その時が来たならば『本当に自分が大事にするべきもの』を他人軸ではなく、自分軸で考えるべきです。『自分が本当はどうしたいか?』を。

一生懸命悩んでください。後になって、後悔しない選択をぜひしてください。

決断のときは、遅かれ早かれ誰にでもやってくることだから…

『自分はまだまだ若いから関係ない!』とか、『自分は親とそんなに仲良くないから別にどうでもいいし!』などと思う人も中にはいるかもしれません。

でも私だって若い時には、母親とものすごく関係が良好だったという訳ではありません。18歳で家を出て寮に入り、そのあとは結婚するまでずっと一人暮らしだったので、そんなに母に依存していた訳でもありませんでした。が…。

自分が歳を重ねることによって見えてくるものが変わると共に、関係が変わってくることもあります。

それに大事な人は『親』だけとは限りません

恋人や伴侶かのしれないし、兄弟や友達かもしれません。若いからといって病気にならないという訳ではないようにいつ何時『その日』が誰にやってくるかなんてわからないのです。

まさに『神のみぞ知る!』ことなのですから、一度はちゃんと考えておく必要があるのではないでしょうか?

そうはいっても誰だって、大事な人との別れについて考えたくはありません。それでもそのことについて考えしっかりと向き合うことは、今を大事に生きることに繋がると思うのです。

そして、そうするとこで『自分は今、何をしないといけないのか?』が自ずと見えてくると思うのです。

まとめ〜母が最後に教えてくれたこと〜

多分、この問題に『正解』はないのだと思います。

どんな選択をしても、おそらく多少の後悔はするでしょう。

それでも、自分なりに一生懸命考えて出した『答え』であれば納得できると思います。

母が急変してから、葬儀が終わるまでの2週間で本当にいろいろなことを学びましたが、

母が最後に私に教えてくれた一番大きなことは『自分の人生と向き合うこと』の大切さでした。

おまけ〜その後の私〜

結局、私はその会社をやめました。

でも、母のために休みを休みをとった事も、会社を辞めた事も後悔はしていません。